気が向いたら書く日記

気が向いたら書く

休養して気づく。

色々と今後のためもあり、3年ほどお世話になったところの仕事を減らした。

なので、いまかなり時間に自由が出来てゆったりしている。

若者なので働け働けという声が聞こえるような気もするけど。

 

3年前に大学を卒業し、直後に母が亡くなり、そしてここまであんまりゆっくりとしていなかった。

いや、シャカリキに働いている人からすればぐうたら過ごしていたんだけど、これは肉体的な話ではなくて精神的な話。

別に母が死んでからずっと暗い顔していたわけではなく、そりゃテレビやらラジオを聴いて大笑いしていたし、応援している球団が負ければ悔しがり、勝てば喜んでいた。

けれど、いま少し時間が出来てこの3年を振り返ると、肉体的には特段せわしなく動いてなくても精神的には踏ん張り続けていたかもしれないとおもう。

母の死を境にした自分や周りの過去現在未来に関して、深く考え過ぎないようにストッパーを掛けていたかもしれない。思考の重く深い部分に「立ち入り禁止」看板を立ててそこから先には入り込まず。

 

これはかなり負荷がかかることだとおもう。「考えないようにする」ってすごい難しいことだし。だから実のところ精神には大きな負荷がかかって、ずっと気張っていたとおもう。

 

で、いま。ここのところ、落ち着いている。

「人生悲しいことグランプリ」でトップ3に入るであろう事柄から3年を経て、諸々少しずつ事実を消化できて、思考の重く深い部分にも足を踏み入れはじめている。

現在未来のことを考えると、いまは肉体的にチャージをかけていかなきゃ行けないし、そういう年齢でもある。しかし現状の心の海を見ると、まだゆっくりしていたいともおもう。

ここが非常に難しいところではある。

まァ断言できるのは、いまの精神状態はここ数年では一番落ち着いている。

だから一気に走り出せるともいえるし、このまましばらくそのままでいたいともいえる。

 

 

そしてひとつ、この3年間を振り返って変わったところがある。

それは「幸福の上下がなくなった」こと。

今までは「もっと美味しいものたべたい!もっとお金ほしい!もっと色んなところへ行きたい!もっともっと!」と一般的な若者と同じ欲があったわけだけど、今はそれがあんまりない。

あんまりないだけで、あることはある。そりゃ美味しいもの食べたいし、億万長者になりたい。けど、別にセブンイレブンのシュークリーム食べてもすっごくうれしいし、100円拾ってもすっごくうれしい。

幸福に上と下がなくなって(元々幸福に上下なんてない!という意見はおいておく)、100円の庶民なシュークリーム食べたときの幸福と350円の高級なシュークリーム食べたときの幸福に差がない。どっちも同じしあわせ。

 

一見すれば何でもしあわせでよいことなんだけど、これがすべてに当てはまるから、逆にいえばハングリーさのカケラもない。だって100円のシュークリームでもしあわせだから。

若者としてこれは危うい。

 

さらにいうと幸福の上下がなくなったことで、ハードルも下がってる。これじゃ満足できない!という満たされない気持ちが明らかに減ってきてる。

もしかすると性格的なものにも引き寄せられているのかもしれないけど、「ま〜いいか」が多い。これも危うい。

 

 

ここでひとつ弁明しておきたいのは、だからといって手を抜いているわけではない。

仕事は仕事として、求められたものをしっかりと出していく所存である。幸福のハードルが下がったとはいえ飢え死ぬのは勘弁願いたいし、ここは自分以外の人の幸福に繋がるから。自分の幸福のハードルが低くてもそれを他に強要することは違うし、こちらが提供する側であるならば、相手の幸福のハードルに合わせてそれを超えるものを提供しなければならない。

 

ただ、自身の幸福に上下がなくなりすべてが同じ幸福度で、それに伴ってハードルも下がったことにより明らかに目のギラツキとかハングリーさっていうのは失われている。本当はこういうのあんまり明らかにしちゃいけないのかもしれないけど。

 

 

なんだかおじいちゃんみたいになってるなァ。

今のところ、「晴耕雨読」でいたいなっておもっちゃってる、そんな26歳、今日はタコが食べれてしあわせです。