「過去のことを覚えている」という力
「むかしさ〜」
過去におきた面白いことだったり、印象的だったことを話すときの枕詞によく使われる語句であります。
例に漏れず、むかしから感じていることが今日の話題なのですが、自分、過去の出来事を覚えていることが苦手です。
友達と話していると、大体ひとりは幼稚園や小学校・中学校のころの体験や事件をよ〜く覚えているヤツがいる。
大抵の場合、そういったヤツの「むかしさ〜」から始まる話はおもしろい。
幼少時の子供特有のトンでも事件や、小学校のときに流行った謎の遊び、中学校のときの先生の話とかとか。
シンプルに話の中身(体験や事件)が面白かったり、その人のバックボーンを知れたりと、表面的な面白さ以外にもかなり多くの楽しさ・面白さ・興味ぶかさが生まれる。
で、数行前に戻り、そういう過去の出来事を覚えていることが、自分、苦手ッス。
幼少時から小学校、中学校くらいのことをあんまり覚えていない。
例えば「小学校のときってどんな遊びしてた?」という質問に対しても、
「なんかボール使ってた…」レベルである。
これをよくよく覚えている人だと、「ボール使ってさ、いま考えるとしょうもないルールなんだけど〜」と具体的なところまで踏み込める。
記憶の第一層、「なにを使ってたか」や「どんな容姿だった」までは覚えているけど、それより深くなる二層目三層目の具体的な事柄までは覚えていない。
こうなると「むかしさ〜」話を振られても笑うだけでお返し話が出来ないことがよくある。
これが問題なさそうで、意外と問題である。
というのは、通常の友達との会話であれば別にお返し話がなくても許されるが、女の子との会話だとしたらどうだろう。
女の子といふのは何かと「むかしさ〜」から始まる話でこちらのバックボーンを知りたがるものである。
「え〜どんな子供だったの〜」なんて振られたときにボケ〜っとしか覚えてない話をしたっって「あらやだ、この人あまり心を開いてくれてないのかしら」「気のない返事だわ…」「ていうか話つまんねーな…」となってサヨウナラだ。
それこそむかしならば話はさておきアルバムを開いて「この写真はね…」なんてほんわか陽だまりラブラブトークができていたかもしれないが、スマホ乱世の現代、写真は手元の端末で見るもの。フリック動作こと未来的ページめくりでシュッシュッと感慨にふける暇もなく消化される。
そもそも「この写真はね…」なんてレベルの古い写真は手元の端末に記録されていないし。
これはこれは由々しき問題だ。
さらにそもそも話のネタの母数が減る。
日々の事柄で人に話すようなことというのはそうそう起きない。
そのそうそう起きないことをさらに厳選して濃縮還元して人に話す。
たとえば年に1回、人に話せるようなことがあったとして、5歳くらいから覚えている人は20歳までに15個のストックが出来る。
けど15歳くらいからしか覚えていない場合だと5個しかない。
しょうがないから厳選のふるいを粗めにして15個作っても、半分以上は「へぇ〜そうなんだ」レベルのしょうもない話ばかりになる。
こうなると自分から話すようなことが少ないから聞き専になっていく。
聞き専が悪いわけじゃないが、やはり自分から出せるものが多い人のほうが魅力的に映るものだ。
「過去のことを覚えている」のが苦手なのは地味ながら影響があるのである。
常々「自分は過去のことを覚えてないなぁ」と感じていた。
そして過去のことをよく覚えている人のことを羨ましくおもっている。
そういう人のことを勝手に「過去のことを覚えている力のある人」と捉えている。
ただ、そんな自分でも何かフッとしたキッカケで思いもよらず過去のことを思い出すことはある。
だから結果としては同じだが、正確には「過去のことを覚えている力のある人」と捉えているものは「過去のことをスムーズに引き出すことのできる人」ということなんだとおもう。
「覚えてはいるけど、引き出すことが苦手」が正解なんだろう。
この引き出しをスムーズにしたい…。
いま、頭のなかの「過去」と分類された棚の引き出しには取っ手が付いてないのだ。
おばあちゃん家にある「よくわからない小物が入ってるちいちゃい棚」みたいに取っ手がないのだ。そういう棚は「よくわからない小物」だから別に引き出せなくてもいいが、こっちの棚の中身は重要なことや色々なタネになるものも入ってるから引き出せないと困る。
どなたか、腕のいい家具屋さん、うちの棚に取っ手を付けてくれませんかねぇ…。
ちなみに唯一取っ手の付いてある棚のなかには「父が真冬の精進湖の岩陰で脱糞し、軍手でお尻を拭いた」という、しょうもない小物が収納されています…。